9.12017
岩手県盛岡地区保健師会講演
行政の担当者の方が国学院大学の出身ということで、講演前の控室での打ち合わせでは日本の風習や伝統などの話しで、大いに盛り上がりました。
国学院大学も、神職(神主)になるための専門学部があって、私は昔、巫女だったので、奉職していた神社の神主さん方々が国学院大学出身の方も多く、そんなこともあり、話に花が咲きました。
講演では、巫女時代の厳しい修行の内容などのエピソードを含めてスタートしました。
巫女の決まりは沢山ありますが、
歯を出して笑ってはいけない、
くるぶしを見せてはいけない、
腕を振って歩いてはいけない、
足袋の裏を汚してはいけない、
(舞を舞う時チェックされている)
玉砂利を歩いてはいけない。
等々の沢山の決まりがあり、がんじがらめの決まりに拘束された巫女時代。懐かしい。でもその経験が今、とても役に立っています。
エゾリスが袴の中に勝手に入って来て暴れた時は、エゾリスを袴から出すために少し袴をヒュッと上げたので、くるぶしがもしかしたら見えたかもしれない。
急いでいる時、玉砂利をよく走っていたので(巫女は走ってもいけない)、神主さんに見付かって怒られたり(笑)
それでも歴史が大好きで、民俗学者の先生方々には、とても可愛がってもらって、日本の風習や神道の歴史を含めて、日本の歴史、古き良き日本人の心、色々なことを教えてもらいました。
「風習の意味」
講演の中でも、そういう内容から色々な風習をお伝えしました。風習は「人のせいにしたって、何にもならないよ。でも、振り返ることは悪いことじゃないよ。でも、だったら自分から良い結果に持って行けるようなことを、1つでも良いから、何か発信してみようよ。」「昔はこんなことが多くあったよ、だからこんな風に進めると良いよ。」そんなことを教えてくれるものなんじゃないのかなぁ、そう思います。
残念ながら、風習は廃れてきています。風習が廃れると、人の心の信仰が変化し、乱れて行く人が増えて行くのも、当然だとも思います。
是非とも風習の意味を深く知り、生活に活かしたいものです。
「風習と考え方」
「給食費を払っているから、子どもにいただきますは言わせないでください。」と現代の母親は、そういう人が少人数だけれども、いるそうです。その前後が分からないから評価も難しいけれど、そうではない人も沢山います。
見えているところだけではなく、見えていないところを見る力を持つ人も多くいるのです。もののルートは、人が関わっている時間と同等。見えていない所で、多くの人が努力していることを知っている人もいるのです。
風習は、元々見えていない所や心に向き合うためのもの、昔の人の知恵が多く含まれているものですから、風習を大事に出来る人は、見えていないところでの努力を感じて知ることの出来る人だということが、言えると思います。
そんな風に風習は、古今東西人の心を育ててきました。
「三途の川」
死者が渡ると言われる三途の川の話や、幽霊、死者がお世話になった人にお礼に歩くお礼参りも、風習の枠に入ると思います。(納棺の時間に、ご遺族がよくお話ししてくれます)
現代では、少しずつですが風習が医療などの学会などでも発表されるようになりました。私も、発表する機会をいただいています。普段から、地域の中で御尽力されている保健師さん方々も、多く風習に触れることがあると聞きました。
保健師さんは、私も知り合いが多いので普段から一緒に色々考えたりさせていただくこともあります。日々、地域のために御尽力いただいている保健師さんの働きに、深く感謝を申し上げた時間でした。
超高齢化社会になって、少子化で、地域で役割を持っている人が本当に忙しい。出来れば地域で、そういう人たちを支えるボランティアが、気が付いてくださる人たちの発案で生まれたら良いなと、思うことも多くなりました。