9.62017
京都にて、対談
京都・西本願寺御本山にて、本山発行の「めぐみ」という雑誌搭載のための対談に行って来ました。
コーディネーターはお寺の奥様(寺族さま)、対談させていただいたのは写真家の國森康弘 さん。
話題は、國森さんが戦場で「いのち」を見つめて来られた壮絶な体験を伺い、死について深く考えるようになって、人のいのちをずっと追っていると、日本の山の中にある過疎地で昔ながらの看取りに辿り着き、ご縁があって密着。そのいのちのバトンの時間の素晴らしさに、日本の死生観が世界から研究されている意味が分かったと、そのような話になりました。世界を知っているからこその、貴重なお話しでした。
私は、特に死の時間の中にある、日本の風習をお話ししました。残念ながら、日本の風習は廃れつつありますが、1つ1つの意味を生きるための知恵として、悲嘆を理解して生活に組み込む知恵として、一人ひとりの心の自立のための知恵として、後世に遺すべく方法を、日々研究していますというお話をしました。難しいと感じることは、現代の人は欲しい情報のみが手に入る時代の中に居て、如何に興味を持ってもらい、日本の歴史の伝統を人間力として活用してもらうことが出来るのか。風習を知ると、心が豊かになります。世界が日本を研究しているのは、きっとそこにあると思うのですというお話しを組み込みました。(弊社の通信講座サポートコースに、風習の解説と活用法を記載しています。どなたでも受講いただけます。)
現代の人は、昔の人よりも物事を知っていて優秀だと思いがちだけれども、昔の人の方が実は何かと色々詳しくて、観察力も心意気も現代の人が追いつけないくらいのものを、豊かな心を持っているのではないかという話になりました。
それはきっと、切るか切られるか、生きるか死ぬかという毎日の差し迫った環境の中で生きて来た、経験と観察力による知恵であり、生きる術(すべ)、毎回の忍耐と覚悟の賜物だったのではないだろうか・・・。
その、どうにもならない状況の中で、風習から物事を捉え、その先に心を昇華する目的として、個々に求める宗教がある・・・。
・・・続きは、「めぐみ」をご覧ください。これ以上話すと、対談の意味が無くなってしまうので!ご了承くださいませ。
現在、曹洞宗本庁さま、東本願寺御本山さまなど、多くの御本山や本部発行の冊子にも寄稿させていただいています。ひとの悲嘆と風習について、その活用法を多くの皆さまに触れていただけたらと思います。そのご縁で、特に僧侶の皆さまから、昔の僧侶が開拓したり大切にして来た御知恵と出会える、沢山の珍しい書物をいただくことも増えました。そういう意味だったのか!という感激に出会える書物、ありがとうございます。
京都は毎日、30℃前後の残暑を感じる気候でした。歩いていると、沢山の神社仏閣があり、吸い込まれるようにお参りをしていたので、気が付けば5時間くらい歩いていた日もありました。でも、全然体重は減っていませんでした〜(≧∀≦)
帰りの空港に向かうリムジンバスの運転手さんのお名前、何となく見たら、「足利」と書いてあって、「あし?あしかが⁉︎っ!!子孫⁉︎わー!」←心の中の声。二度見した私。歴史が側にあり、タイムスリップをしたような気分になれる時間に、少しの気も抜けない、さすが京都だなぁ〜と、感動した3日間でした。
明日は岩手県内に於いて、800名の皆さまに向けて、講演をさせていただきます。皆さまにお会い出来ること、楽しみに致しております。