3.92018
思い出・震災あれから〜1
「師匠!笛聞きたい!」
「仕方ねぇなぁ。」
東日本大地震が発生し、大切な家族を亡くしたご遺族としてご縁があり、仮設住宅に住んでいた、震災から2年後の一人の高齢の男性とのやりとりです。
20年、笛を嗜む程度に続けてきた私は、沿岸被災地に伝わる民俗芸能の笛のお師匠さんとして、50年以上も吹き続けて来た、その男性の笛を聴くのが何より、笛の音色に乗せて疲れが飛んで行く感じがして、大好きでした。
その音色は、目を閉じるとまだ復興していない民俗芸能の踊りが勇壮に舞っていることが感じられるほどの、歴史の中で鍛錬された音の説得力と迫力、人の心の悲しさを全部包み込む深さを持っていました。
師匠が言いました。
「民俗芸能が見たいな・・・。」
「どんな?」
「この気持ちを分かってくれる人の、演舞がいいなぁ。おれはさ、いつも忙しく地元のみんなと演じる側だったけどね、始めてこんな気持ちになったよ。特にな、掛け合いのお囃子が聴きたいなぁ。」
県内外の知り合いの民俗芸能の団体の皆さんから、「つなげて」と、声を掛けていただいていたので、いくつかの団体さんにお願いをして来ていただきました。
「師匠!走ったら危ないから、ゆっくりで大丈夫!」お囃子の音色が聞こえ、走り出す師匠に私が声を掛けると、嬉しそうに笑いながら、
「お囃子は、やっぱり心が躍るもんだな!」
民俗芸能の団体の皆さんに、頭を下げて御礼を言い、満面の笑みで過ごしている師匠。ずっと続けてこられたから、皆さんへの対応はやっぱり素晴らしかった。
師匠は、次の年に肺炎で亡くなりました。
泣いた、泣いた。仮設住宅に住む人から電話をもらって、師匠の死を教えてもらった時、泣きました。
「最後、笹原さんに御礼を言わないとって、言ってたんだよ。」
御礼を言うのは、私の方なのに。と思って、また、泣いた、泣いた。
たった一人残った奥さんに会いに行って、
「震災があってからずっと家に閉じこもり気味だった主人だったけど、最後は民俗芸能と沢山ご縁をいただいて、笹原さんが笛を聞きたがってくれたから、実はね、よく練習もするようになっていたんだよ。辛くて悲しい思いをいっぱいしたけど、その気持ちを全部表現しているような主人の笛の音色と・・・、良い姿だった。」
師匠はいつも笛を吹いてくれる時、海に向かって吹いていました。何を思い、どんな気持ちで吹いていたのか、あの時と同じ場所に立って、海を見ながら考えています。