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「じじ またね」

    父が私たちを置いて、勝手にお空に逝ってしまってから一年になります。(勝手にでもないけれど。)

 この寂しさの中で考えたのは、遺族という言葉は、もしかしたら亡くなった人から見て「遺した家族」という意味でもあるのかなと、思ったりしています。

 悲しみというのは癒えないものだけれど、そのくらい大切な存在だったということを深く、深く、この一年かけて理解できたと思います。

 父は、私にとって偉大な存在だったと思います。ユッケとヤッケを間違える感じの天然だったけど。

 今は、寂しくなるたびに、じじ(父)の遺影の写真にデコピンして過ごしています。

 それから、居間のみんながいつも集まるテーブルに、小さな遺影の写真を置いて過ごしています。

 娘に「あっちの世界はね、こちらで一輪の花を供えたら、お花畑になるくらい増えるんだよ。」と話したら、パスタが一本だけ供えられていました。「え?」と私が言うと、娘が「増えるんでしょ?」とドヤ顔。「あっ、うー、うん・・・。パスタも増えるのかなぁ?」じじの血をしっかり受け継いだ感じの天然さだなぁと、思いました。

以下、葬儀の時のお悔やみハガキの内容です。一周忌なので、ここで紹介したいと思います。


「じじ、またね。」

 祖父は、おっとりとした中にも几帳面さを待ち合わせ、いつもジョークを言っては皆を楽しませてくれました。
 車を運転していた頃は、私たちの学校の送り迎えを文句も言わずしてくれ、車の中での会話は「人の痛みをわかる人になれ」など、人との付き合い方をよくレクチャーしてくれました。
 料理が得意で、すき焼き、味噌汁など、祖父の作る料理は何から何まで美味しく、特に毎年作ってくれる「いくらの醤油漬け」を楽しみに学校から帰って来ました。お世話になった人たちにも配って喜ばれていて「いくらのおじいちゃん」と呼ばれて嬉しそうでした。
 そんな祖父にも知らない料理があるらしく、母が作ったクラムチャウダーに、とろみがないからとシチューのもとを入れて、みんなで大笑いした思い出があります。今もクラムチャウダーが食卓にならぶと、その出来事を思い出します。
 祖父の子供時代は満州で育ったという話しをよく聞かせてくれ、中国の方と会うと自分から話し掛けて冗談を言い合うほど中国語が堪能でした。
 お出かけも好きで、よくショッピングモールに一緒に行きました。
 私たち孫の将来を1番楽しみにしてくれていて、家族を愛し、心から大切にしてくれていたので、私たち家族も祖父のように広い心を持って、過ごしていきたいと思います。
 いつも通り今でもどこかで、見守ってくれている気がします。じじ、今でも大好きだよ。ありがとう・・・、またね。  〜孫一同


父 笹原 和夫 は、令和二年三月七日、八十八歳にて天命を全う致しました。生前のご厚情に深く感謝を申し上げます。本日はご多忙中ご会葬頂き、誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもって厚く御礼申し上げます。

          令和二年七月十二日


 おかしいな、と思われる場所がありますね。そうです。死亡日と葬儀の日が全然違う。4ヶ月も、何をしていたかと言うと、

 実は、お父さんっ子って歳でもないけれど、本当に頼りにしていて、私が寂しくて寂しくて、お骨(こつ)をずっと持っていたからです。

 お寺の住職に素直に話して、気持ちを聞いてもらいました。「いい?」と聞いたら「いいよ」と言ってもらって。「良かった〜」とホッとして。

 骨になっても父と、離れる覚悟が出来ませんでした。と言うのが正直な所でした。

 子どもたちから「そろそろ、じじが行きたがっていたお寺に納めたら?」と言われ、それでも覚悟が出来なかった私。お寺で葬儀をしてもらいました。不思議なもので、住職にお経を上げていただいて、何となく、じじが「やれやれ、やっとお寺に来れたわい」と言っている気がして、ちょっと笑ってしまいました。(それまでは、相当泣いたけど)

 そうです。死の専門職だから、泣かないとか、諦めが良いとか思ったと思いますが、専門職だから、感情の吐き出す場が分かるので、出しました。でも、大変だったのは、周りの人。住職にも、だいぶ支えてもらいました。どうもすみません。火葬の時は号泣しすぎて、まだ18歳だった息子が喪主代理で挨拶をしてくれました。頼もしいなと思いました。そのくらい、泣きました。みんな、本当にありがとう。
 
 火葬場に向かう出棺の時、いつも「じじ」と呼んでいたのに「お父さん、ありがとう!」と叫んだ私。お父さんと呼んだ自分に、とても驚きました。

 毎年2月11日の追悼イベントを、とても楽しみにしていた父。昨年の追悼イベントでは、札幌の姉の所から8年ぶりに岩手県に帰って来た母と、父の最後のデートになりました。
 
 今年は、警察、海上保安庁、自衛隊、消防の皆さんにお力をいただきました。実は私、当日は父の写真をポケットに入れていました。きっと、間違いなく、今年も会場に来たかったんだろうなと思ったからでした。

 母は施設でお世話になっています。要介護5、身体障害者一級、失語です。新型コロナウイルスの影響で面会できないし、家に連れて帰っても来れなくなったので、もう3ヶ月以上会っていません。

 でも、施設の看護師さん方がまめに連絡をくれたり、LINEのテレビ電話で話しかけたりしていて、主治医は父と同じ先生で看護師さんも、もう15年の付き合いの信頼している人。
 今、母は自分が信頼して大好きな人に囲まれて過ごしています。だから、会えないことだけ少し寂しいけれど、不安は全くありません。

 こんな風に、それぞれの家のそれぞれの事情がみんなにあると思います。

 みんなで頑張るしかない、と思う今だから。

 明日からも心を込めて、父の遺影の写真にデコピンして過ごしていきたいと思います。

 じじ、またね。ありがとう。
 

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