2.62018
節分
昔から我が家の節分の掛け声は
「福も内、鬼も内」だった。
少し前の復元の現場の移動中、雑談の中で、遺族が言っていた。
「私の旧姓に「鬼」が付くことで、小さな時は随分とイジメられました〜。」
私の母は自称「鬼研究家」で、小学校に上がる前から「鬼」について語られ育ったものだから、私が小学校に上がって始めて
「鬼は外」と聞いた時は、
鬼は悪くないのに!と分かってはいるものの、説明できない自分がもどかしく、悔しくて泣いて帰ったものでした(笑)
泣きながら母に言うと、普段から厳しい母は言いました。
自分が理解せず分かっていないから、悔しいんだ。きちんと理解していれば、考え方や大切なことを守ることが出来るから、鬼は外と相手に合わせることも出来るものだ。鬼は自分の意思を貫いてあなたが嫌われることは、きっと望んではいない。心の中で「鬼も内」と言えばいいだけの話だ。そうしたら鬼も笑うんだと、言われた。
なーんて、話しをした時間がありました。
母から聞いた話しで、鬼について考えられることは4つあって、
1つは、自然がもたらす荒ぶる気。
2つ目は、心の中にある誰もが持つ気持ち。
3つ目は、外国人説。私たちとは違う世界と考え方を持ち、苦労を経験した心豊かな物知りな人たち。
4つ目は、本物。もし見ることができれば姿は誰もが惚れるほど勇ましい、らしい。
などなど。
4は1の様子を伺ったり、お伺いを立てたりすることが出来ると言われていて、力の強い荒ぶる神仏として祀る神社やお寺があるので、豆をまいては失礼だからと、鬼も内と声を掛けなさいと私は育てられました。
鬼は、悪い物(者)を改心させることが出来て、厄を払えば厄は誰かの所へ行ってしまうから、そうならならないように厄に対して「違う働きが出来るはずだよ」と言えるのが鬼の存在らしい。
昔は疫病も流行り、そういう疫病神をも改心させる、日本は昔から「豆」や「桃」が力を持って発揮する、そんな風習もあるものです。
民俗学の先生と話すと、生活と風習について、いつもこの話しで討論をして、盛り上がります。
「鬼」の付く苗字を持つ人は、きっとご先祖さんが「鬼」に何かしらの大役を果たす知識人だったかもしれないから、私からすれば羨ましいです。と、話しました。
奈良の吉野地区でも、苗字に「鬼」の付く人はたくさん居て、1400年以上の昔、役小角(えんのおずぬ)と言う神仙と呼ばれて荒業をしていた人が鬼を従えて、大活躍した歴史がある。役小角が歩く前を守るのが前鬼(ぜんき)、後ろを守るのが後鬼(ごき)と呼ばれ、その子孫は今も吉野の山を守っているんです。
大昔、吉野の山と全国各地の山は交流があったので、その流れかもしれませんよ。
素敵でしょ?
「そんな素敵な話だったんだ〜!私、旧姓に誇りを持って生きます〜!」
昔、母が言っていた。
運を手に入れたいなら、鬼に好かれろ!と。鬼に好かれると、運の気の掴み方を教えてもらえるらしい。
私は鬼に会ったことがないが、鬼がもし、母のような気性の存在だったら、もうそれは一人で十分なので、2人以上対応出来ないから、鬼に合わなくても良いよねと、姉と話したことがある、そんな今日この頃でした。(笑)