6.42017
長野県佐久大学さま
長野県佐久大学・看護学部同窓生の会に於いて、90分の講演にお声掛けいただきました。
会場には学生さん、卒業生、地元地域の皆さま、地元のお寺さまが居られました。
気温は18℃。隣は軽井沢で、避暑地と呼ばれるだけあり、とても過ごしやすい気候でした。
講演の内容は、日本の民族風習やネイティヴアメリカンの思想などのお話しを通して、悲しいと感じた時の心の仕組みや、人の心が起こしやすい場面ごとの特徴などを解説しました。
日本の風習には、月命日や本命日などがあります。月に一度は、亡くした家族を思い、語り掛ける時間を持ちます。(みんな、毎日思ってるけど)
ネイティヴアメリカンには、それが無いそうです。花の良い香りがした時、そよ風が吹いた時、青い空を見上げたとき、自分の周りを蝶々が飛んでいる時、亡くした家族が傍に居て、共に過ごしていると考えるそうです。
悲嘆の思想は、民族により異なることがあるように感じるけれど、実は民族を超えた世界共通の心情があり、人と人をつなげてくれているのではないのかなと、私は思っています。
講演終了後には、学長さんから来年開催される学会での、公開講座のお話しをいただきました。お役に立てるように、研鑽したいと思います。
おまけ〜お迎え、そして挨拶まわり〜
控室でのお話しが、大盛り上がり。お看取りの時の、お迎え話しの話になりました。「お迎え話」は今や医療の学会でもDr.が発表されることが増えた内容にもなり、本も出版されるほど。私も、Dr.の皆さんから色々プレゼントをしていただきます。
お迎え話しとは、人が亡くなる時、すでに亡くなっている近しき親しい人が、その人をお迎えに来る。というお話しです。
少し前に「誰もこないんだけど!!」と、死期の近い方から連絡をもらって、慌てて病室に走って行って、二人で「きっと来るよね〜!」と話し合ったことがありました。その方は、最期に息子さんが笑顔で迎えに来たと話してくれて、静かに息を引き取りました。
今回伺った大学の先生方々も、看護師さん。病院勤務の時の体験談を話してくれました。
大変仲の良い一つの病室にがありました。一人の方が亡くなられて、翌日お部屋に行くと、皆さん口々に「最期の挨拶に来てくれた」と、興奮して嬉しそうに話してくれました。内お一人、失語で呼吸器の患者さんも興奮して、体をバタバタさせて挨拶に来てくれたことを伝えようとするもので、呼吸が安定しなくて大変だった(笑)。律儀な患者さんは、早い時期から挨拶まわりもされるんです。病院に勤務していれば日常茶飯事の出来事です。
特にコミュニケーションが大切になっている参加型納棺というお仕事を通して、お迎え話しや挨拶回りの事例は、現場で教えていただくことが本当に多いものです。
どのような死を迎えるかは、人それぞれ違うけれど、現場を担当し、例え一人で亡くなっていても、「どなたが迎えに来てくれましたか?」と語り掛けから始まるのは、そんな毎日を過ごしている私にとっては、自然なことなのでありました。