6.302017
地域で発生する事例を考える会
老々介護がどんどん増えています。
大変なことも、辛いこともあるけれど、意思の疎通ができたとき、嬉しいことも、幸せを感じることもあるでしょう。
孤独死も、増えています。
お独り暮らしは、誰にも気兼ねなく、自分のペースで生きておられて、楽しかったこともあるでしょう。
どちらにしても、孤独に押し潰されそうになることも、あるでしょう。
医療や福祉の専門職の方々が、地域のお一人おひとりを支えてくださっていることは、事実です。
医療、福祉にお世話になってない高齢者の、孤独死も増えています。
地域で何が出来るんだろう。民生委員さんと、私はしょっちゅうそんな話しをしています。
人の死に触れ、考えることは毎回、同じ。
もっと、出来ることはあるのではないのかな?
だからと言って、楽しく暮らしている、お独り暮らしの方を見張ってるのも、迷惑でしょうしね。
意識すること。人が、生きていることを意識することは、出来ます。そういう、一見当たり前のようで、なかなか出来ないことって、あるものです。意識していないと、流してしまう。
ずーっと仲良くしてもらっている地元の看護師Mさんと、一緒に悩んでもらっていました。Mさんが所属する訪問診療のC先生のお力をお借りして、いつも私たちがお仕事でお世話になっている刑事さんのお力をお借りして、今日の日を実現出来ました。
地域を支えてくださるプロの方々。ケアマネジャー、訪問看護師さん方々と、「検視を考える会」でした。こういう会は、全国初だったんじゃないのかな?と、思います。
老々介護では、気が付いたら息を引き取っていたという事例も、多くあります。
医療や福祉にお世話になっていなかった独り暮らしの方が亡くなり、腐敗臭で誰かが気が付くことも増えています。
超高齢化社会と呼ばれる現代に於いて、こういう時は、どうしたら良いの?の疑問は増えています。
C先生は医師法を教えてくださって、
刑事さんは検視のながれを分かりやすく説明してくださいました。
地域の中での、意見交換会。質問が、ずーっと続いていました。
会場の中にいる全員が、地域の人たちのことを考えて進められた時間でした。
結論は、みんな「お一人おひとりの、人権と尊厳を守るため」。あっという間の、120分でした。
先般、死後二ヶ月を経過して発見された方が居られました。健康で、医療や福祉にはお世話になっていなかった、お独り暮らしの方でした。ネズミや虫に食べられていて、白骨化していました。(遺体は状況や環境に大きく影響を受けます。みんながみんな、そのままの姿を保っているわけではありません)復元を進めるにあたり、刑事さん方々、菩提寺のお寺さんが力になってくれました。迎えに来てくれた家族と対面したとき、その場の雰囲気が穏やかな、温もりに包まれた空気に変わりました。「あぁ、そうか。ご本人が、安心されたのかな。皆さん、本当にお世話になりましたと、一人ひとりに伝えて居られるのかな?」素直に、私はそう思いました。
独りで亡くなっても、プロの人たちのお世話にはなっています。孤独死と呼ばれても、誰かのお世話には、なっているんです。誰も見ていないところで独りで亡くなられた方は、警察のお世話になっているんです。
腐敗が進み、警察の検視後→主治医や地元のDr.に診察してもらって→異常死と判断された場合→警察が死因を特定する必要があると判断した場合→裁判所の許可を受け、司法解剖になります。司法解剖では→法医学の専門の医師が診察してくれます。事件性が無いと判断された場合→死因を特定してもらって、亡くなられた方は帰って来ます。
→は沢山の枝に分かれますが、比較的多くある事例でお知らせしました。
世の中に出ていない、死の情報って実は沢山あります。でも、そこには、人の手がちゃんと掛けられ、人として守ってもらっている事実もあります。亡くなった人は決して、ひとりぼっちではないってこと。
遺された人、死を迎える人の立場に立ったとき、まだまだ出来ることは沢山あることを知りました。
老々介護でも、お独り暮らしでも、安心して暮らせる地域に出来たら良いな。みんなが職種を超えて、同じことを思っていたから実現出来た今日だったのだと思います。
社会の中がどんどん変わって行く、現実的に実感する毎日。そういう時代の節目にいることを、それをみんなで考えることが出来たこと、とても深い1日でした。
みんなが笑って暮らせるように、ただそこを探してみんなで歩いて行きたい。私たちをここまで引っ張って来てくれて、社会の道を切り開いてくれた今の高齢者に、どれ程の御礼が出来るのだろう。その気持ちを忘れた援助にはなりたくないなと、皆さんと過ごす意見交換会の中で又、皆さんと同じ思いを感じた時間でした。