3.132021
東日本大震災から10年
東日本大震災の発生から10年、私にとっては、毎日起きる出来事と向き合いながら必死で生きてきた1日1日だった気がします。気がついたら10年、経っていたという感じでした。
私は参加型納棺師と復元師というお仕事をさせていただいているので、普段から現場で「死」という存在を通して、ご遺族と様々な課題に向き合っています。
災害も「死」という存在も、共通しているのは、一度起こったら当事者には終わりがないこと。
終わりがない理由として、記憶した中に多くトラウマがありますが、その中に沢山の宝物が眠っています。
理解できないことは、怒りに変わりやすい。だから、情報を伝えて分かりやすいようにいつも、解説しています。
怒りが収まれば、目の前のことが見えるようになる。
その目の前の宝物を探す作業を行うのが私の仕事でもあり、現場の後もご遺族とのつながりは多くあるので、私にとっても終わりがありません。
記憶の中から一緒に探して、やっと見つけて、その瞬間に心が解き放たれて、ゆっくり大切に拾って、抱いて、胸のポケットに、もう落とさないように入れる。
その作業に入る前も、その過程でも、取り乱すことも立ち止まることも、泣き叫ぶことだってあります。でも、それは人の心を持っているからこそ、亡き人を思えばこそ、普通の感情だと私は思います。周りは驚くでしょうけれど。私は、驚きません。その先に何があるかを知っているから。
私の仕事は、その一人一人が社会生活を送れるように、プライベートである部分として個人の感情のコントロールが出来る様に、傍に居て色んなことを一緒に考えることです。
人は、社会に向ける顔と、プライベートな自分の顔があります。どちらも大事。
頼りすぎたり、期待しすぎたり、自分の枠にはめようとすると、人はお互いに、とても苦しくなると思います。
そういうことを全部捨てて、今あることに向き合うことで、深い感謝に繋がっていく。少しずつ、大切なものを大切に出来るようになっていく。
だから、ご遺族はいつも「ありがとう」って涙を流します。
たった3行のことだけど、行動するのはなかなか難しいことでもあります。
悲しみの中にある大切なことと共に生きる方法やその道を、毎日、誰かと一緒に探しながら、私はこれからも一日一日を積み重ねていると思います。