1.72020
昨年末の納棺の出会いのお話しです。
障害を持つ勇敢な子が居ました。彼は、おじいちゃんの傍から片時も離れようとしません。
死臭が気になる、表情が変わってしまったとのことだったので、臭いを消して、表情を戻した後、確認をしてもらうと、こんな話しをしてくれました。
僕は人よりも色んなことが出来ないけれど、出来ることだってあるんだ。
おじいちゃんは、僕が出来ることを何一つ奪わなかった。
僕が何か出来るように、いつも一緒にいてくれた。
今、僕もとても寂しいけど、おじいちゃんは僕を置いていくことに、もっと寂しい気持ちになっていると思う。
僕がこれから、おじいちゃんに教えてもらったことを大事にしながら、おじいちゃんと過ごした時間を宝物にして生きていくことは、今までと何も変わらない。
大好きなことも、大切なことも、何も変わってないから。
彼の話を聞きながら思ったことは、きっとこの子は沢山の挫折をして、傷付いて、生きてきたのかなということ。
おじいちゃんがいつも傍にいてくれたことで彼はいつもおじいちゃんに相談して、悲嘆との付き合い方を教えてもらって、自分との向き合い方を、その度に教えてもらったこと。
悲嘆を持ったことのある人は、彼のように優しさと強さを持ち合わせるものだと思います。
彼はおじいちゃんに、最期の、最愛のムギュを、長い時間していました。何をお話ししたのかな?
この子の周りには、彼を上手にサポート出来るステキな人たちが居ました。おじいちゃんが遺してくれた環境は、きっとこの子のいのちをキラキラ輝かせ続けてくれるんだろうなと、小学生の子から、多くを学んだ現場でした。
納棺が終わると車椅子に乗りながら、彼は学校に行くと言いました。
ハイタッチをしようと声を掛けられ、彼とハイタッチをすると、彼は言いました。
おじいちゃんと、いつもハイタッチしていたんだ。おじいちゃんを沢山触ってくれた手だから、ハイタッチしたくなった!と言い、私の手をさすって、おじいちゃん、おじいちゃんありがとうと言いました。
目がウルウルしている私に、彼は行ってきます!と、言いました。
故人が遺した大切なご家族の、いつもの生活が戻る瞬間に出会う度、故人の生前の生活や人生に触れさせてもらえたような気持ちになり、尊敬の念を抱きます。
彼はくるっと振り向いて言いました。
どうしたら、おじいちゃんと夢で会えますか?
私は答えます。
昔から白い紙に「七福神」と書いて、会いたい人の名前を三回言うか、写真を七福神の紙と一緒に枕の下に入れて寝ると会えると言われているよ。みんなこの方法で、不思議と会えているみたい。
彼は満面の笑みで、やってみる!ありがとうございます!と、学校へ向かいました。
この方法は、昔から吉夢を見る方法とされていますが、大切な人を亡くした人にとって、その方と会えることは願いが叶うこと、つまり吉夢だから、今の時代に伝えられているのかもしれません。
昨年も大変お世話になりました。今年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。皆様にとって、今年もステキな時間の積み重ねになりますように。